ランド・オブ・デッド/ジョージ・A・ロメロゾンビ映画とかスプラッター映画に囲まれて育ったといっても過言じゃない。そういう趣味の親を持つとこんな大人になってしまいます。皆さんも気をつけましょう。
でもこの巨匠は、名前は知っていたけどちゃんと観たことがなかった。不覚だった。ジョージ・A・ロメロ。B級ホラーを愛し過ぎている愛すべき大人。
この監督がいかに愛すべき大人であり映画人であるかは、レンタルしても豊富についてくるメイキングを観るといかにわかる。「昔は映画をつくるのに、友達を必死で集めてつくってたんだ。だけど今は映画会社のほうがつくってくれと金を持って来る。でも僕は、お金をかけて売れるものをつくりたいとは思ってない。安く、つくりたいものをつくれてさえいればいいんだ。」確かこんなふうなことをメイキングのなかで話していた。純粋に感動した。映画づくりの衝動の原点でもって今もつくっている。そんな姿勢を今も保ち続けていることに、心から尊敬した。
で、内容なんだが、一言で言うと変わった映画だった。とにかく、変わった映画。そうとしか言いようがない。
ビデオ屋や宣伝では、いかにも「ゾンビが襲ってきてどうしよう」といった定番のホラー・アクション・パニック・スプラッターものっぽかったので、そういうモノに目のない自分は、そういうものかとてっきり思い込んで借りてきた。スリルとビクビクと血飛沫で、スリリングな一夜を愛猫と過ごそうという魂胆だ。
ところが、舞台は既に世界にゾンビがはびこり、残された人間が基地というか街のようなものをつくってそこで生活をしているところから始まる。ある意味「安定した」状態から始まるのだ。その人間たちの住む「街」は、結構重装備で、外界と隔てる柵には電流が流れており、軍隊のようなものまであり、ひときわ目立つ高層ビルでは、セレブーな人々が優雅に生活している。武装した人間が夜の市街地へ繰り出し、無抵抗?なゾンビを大量殺戮し、略奪を繰り返している。
エ?ゾンビってモンスターじゃないの?なんかゾンビちょっとかわいそうじゃない??とちょっと観ている側は違和感を抱く。
結局ゾンビたちはゾンビたちで学習してきており、最後には街へ攻め入り、街の悪いボスであるデニス・ホッパーとそれに反発する主人公たちのなんちゃらもあったりする訳だが、最後のセリフが凄い。「彼らも行き場を探してるんだ」主人公の、壊滅した街を彷徨うゾンビたちへの言葉だ。
もちろん、スプラッターのセオリーとして、エグい殺戮シーンもある。大量のゾンビが人間を食ってたりね。だけど、ゾンビ=モンスター、人間=なんとか頑張る残されたマトモ、みたいなルールが全然ない。むしろゾンビに同情をおぼえたり、感情移入さえしてしまいそうな・・・。不思議な映画だった。巨匠はゾンビをここまで愛してたのね。本気の愛を感じる。
追記として、「映画で人が普通にばんばん殺されるのは許せない」と仰る方々に伝えたい。自分は映画は娯楽、現実の思想云々とはかけ離れたものとして観ているから、そんなふうに思ったことはないが、そう思う気持ちも解らないでもない。ただ、ホラーやスプラッターは違うということだ。それは決して作り手が殺戮を楽しんでいるのではなく、むしろお化け屋敷の飾り付けのように、いかに観客を怖がらせるか?といことに最も重きを置いているからだ。つまり、ホラーやスプラッターは典型的な娯楽であって、観客はそれを観て恐怖やスリルを感じ、けれどきっと観たあとはむしろスッキリとして、怖さという意味で映画を楽しむことが出来るんじゃないだろうか。それは遊園地のお化け屋敷と決して変わらないと思う。怖いのが苦手な人は最初から観なければ良い訳だし。自分は、そこに「作り手の、思想を一切挟まない純粋な映画愛」を感じて、どうしてもホラーとかスプラッターは愛してしまう。彼らは最高のエンターテイナーだと思う。個人的にはウェイス・クレイブンとダリオ・アルジェントが最高だ。
本当の観客への悪意を感じたいなら、「ファニー・ゲーム」を観ればいい。あれ以上の不快感を感じた映画はいまだかつてない。
2006/03/21
CINEMA ・
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