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封印殺人映画/GOING TO PIECES

人間の本能が生み出したスラッシャー映画の存在意義とその宿命

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封印殺人映画/GOING TO PIECES: THE RISE AND FALL OF THE SLASHER FILM(2006)
監督:Jeff Maccen ジェフ・マックイーン
出演:Jonn Carpenter ジョン・カーペンター 他


【注意】
この記事にはネタバレ表現が含まれています。
鑑賞予定の方の閲覧はご注意ください。

スラッシャー映画セオリーその1:主な登場人物はティーンエイジャーの男女
スラッシャー映画セオリーその2:ヒロインは賢く貞淑な美しい少女である
スラッシャー映画セオリーその3:舞台は郊外や田舎が多い
スラッシャー映画セオリーその4:ヒロインは最後まで生き残る
スラッシャー映画セオリーその5:殺人鬼は正体不明のサイコ・キラーである


ここまで書けば、好きな人なら該当するタイトルを幾つか思い浮かべることが出来るだろう。
1978年、鬼才ジョン・カーペンター監督の「ハロウィン」を皮切りに、センセーショナルなホラー映画が次々にアメリカで制作された。「13日の金曜日」「プロム・ナイト」「エルム街の悪夢」・・・。それらは「スラッシャー映画」と呼ばれ、批評家たちの否定的な攻撃にも負けず、いつしか一大ジャンルとして確立していった。そんなスラッシャー映画にまつわる栄枯盛衰と今を描いたドキュメントだ。

「人間の本能には爬虫類と同じ部分があって、その部分は人を殺すことをなんとも思わない。そういった部分が、人間にも残っている」物語の冒頭はそんな話から幕を開ける。
「サイコ」が人々に驚愕と恐怖を与えたとき、同時期にエド・ゲインは猟奇的殺人者としてその名を轟かし、それまでホラー映画の主流だった「超自然的なもの」から、だんだん「人間」が恐怖の対象になっていく。そして、ハロウィンの夜に起こる連続殺人を描いた「ハロウィン」が公開されるとその恐怖体験を味わおうと人々は映画館に群がり、そして「13日の金曜日」で凄惨な殺人シーンにまた人々は群がった。そもそもスラッシャー映画の売りはそのB級低予算ぶりであり、安く売れる映画がつくれるということで、こぞって「ハロウィン」や「13日の金曜日」を雛形にした映画がつくられるようになった。カレンダーで調べた休日は全て使いつくされ、クリスマスを舞台にした映画には抗議が殺到し、そしていつしか二番煎じ三番煎じのスラッシャー映画群に人々は飽きて行く。そこで90年代にウェス・クレイブン監督の「スクリーム」が公開され、洗練され一味違ったスラッシャー映画は再び人々を魅了する。そして今。常に時代を反映し支持され続けたスラッシャー映画は、何を語っているのか。

ジョン・カーペンターやウェス・クレイブン、トム・サヴィーニなどのその手の大物たちが語るのはスラッシャー映画にまつわる苦労や楽しみ、そしてスラッシャー映画への愛だ。だが、そこから見えるのは、スラッシャー映画がいかにして存在するかに他ならない。
「批評家たちはスラッシャー映画のことをポルノ映画と同等としか思っていない」と言う。だが、それは半分正しく半分間違っている。人間の本能にまつわる欲求のはけ口として満たしてくれるという部分はポルノ映画と同じだ。だが、それだけではない。スラッシャー映画は人々の感覚をリセットする機能があるのではないか。日々単調に過ごし感覚が麻痺した部分を、スラッシャー映画を観て刺激を与えることで、鈍った感覚を取り戻すことが出来るのではないか。凄惨な暴力シーンを観ることで、恐怖を感じ恐怖への感覚を取り戻す。何もせず映画館のチケットを買うだけで、非日常を感じることが出来る最も手軽な手段なのだ。
このことはスラッシャー映画のベースが「B級娯楽」として存在することからも明らかだし、不快にさせたいのではなく「いかにして怖がらせるか」にのみ焦点を当てているという点からも明らかだ。「いかにして怖がらせるか」というつくり手に対し観客は「いかにして怖い思いをさせて貰うか」という、それのみを期待して映画館に向かう。それは、遊園地のお化け屋敷に入ることと同じだし、ジェットコースターに乗ることと同等だ。「こんな映画は教育上よくない」「下劣である」「殺人事件の原動になる」のならば、遊園地でお化け屋敷に入ることもそうなのだろうか。だが、お化け屋敷が「下劣」だとか「殺人の原動」になるといった話は聞いたことがない。
映画は商業であり娯楽であるということを忘れてはいけない。それはわざわざ遠方まで出掛けずとも街中で気軽に、最も手っ取り早い方法で非現実を味わうことが出来、そして観たい人だけが観ればいいものだ。選択の余地がなく押し付けがましいものではないし、恐怖を味わいたい人には恐怖を、感動したい人には感動を、笑いたい人には笑いを与えてくれる。それは偏っていてもいけないし、たまたまその「恐怖」の部分を、スラッシャー映画含めホラー映画が賄っているだけなのだ。

最後にホラー映画のファンの女性が言っていた言葉が印象的だった。
「「ポルターガイスト」はセリフも全部覚えてる。ああなりたくないと思ったわ」
「ああなりたくない」そう思わせることが、ホラー映画全ての一番の存在意義ではないだろうか。

    2008/02/03   CINEMA   *   155TB 0   155Com 0  ↑ 

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