歌って踊る楽しいペンギンアニメとして子供にどんどん見せるべき問題作
ハッピーフィート/HAPPY FEET(2006)監督:George Miller ジョージ・ミラー声の出演:Elijah Wood イライジャ・ウッド 他
【注意】
この記事にはネタバレ表現が含まれています。
鑑賞予定の方の閲覧はご注意ください。
こんなつもりじゃなかった。「歌って踊るその名の通りHAPPYなペンギンアニメ」を観るつもりだったのだ。観ている間は存分に笑って楽しませて頂き、観たあとは大した印象も残らず「面白かったね」というシンプルな感想とともにさっさと忘れ去られてゆく、現在の消費社会の象徴のような昨今の3Dアニメの、至ってベーシックな作品群のひとつであると思い込んでいた。それが、こんな挑戦的な映画だったとは・・・。「面白かったね」の一言で済ませそうにない。むしろ、鑑賞後に背負わされたこの重みをどうしろと言うのか。
舞台は南極、「心から湧き上がる歌」を歌い求愛する皇帝ペンギンたちのなかで、音痴なマンブルは爪弾き者。唯一の特技はタップダンスだが、周りのペンギンには誰にも理解して貰えない。想いを寄せるグローリアにも気持ちを打ち明けることが出来ず、挙句の果てに頭の固い長老に、マンブルのダンスのせいで魚が獲れなくなったとコロニーを追い出されてしまう。
そんなマンブルの心配をしてくれる陽気なアデリーペンギンのアミーゴス、アデリーペンギンの教祖様として君臨しているラブレイスとともに、マンブルは魚が獲れなくなった本当の原因を突き止めようと旅に出るのだが・・・
まだマンブルが幼い時期、カモメに襲われそうになるシーンがあるのだが、そのカモメの足に黄色いタグがついている。鋭い人なら、ここでまず違和感を抱くだろう。普通のペンギンアニメなら、足にタグがついたカモメは絶対に出てくる筈がないからである。幼いマンブルは「それは何?」とカモメに聞き、「エイリアンにさらわれてつけられた」という話を聞くのだが、もちろんエイリアン=人間なのは明らかだ。ここから、ペンギンの食糧難を招くエイリアン=乱獲をする人間 という構図が徐々に浮かび上がってくる。
だが、物語はマンブルやアミーゴスの冒険等を交えて、一見普通のアニメのような展開を見せる。そして、とうとうマンブルたちは人間の植民地へ到着し、ラブレイスの首に絡まっていた首輪(人間が不法投棄したプラスチックのゴミ)もなんとか外れ、ここで一件落着かのような様相を見せる。人間の漁船はペンギンたちにとって想像もつかないぐらい巨大であり、「魚を獲るのをやめさせる」と息巻いていたマンブルが、到底太刀打ち出来るものではないという「現実」を、ありありと見せつけるのだ。ここで、それまでマンブルに感情移入していた観客は誰しも「もういいじゃん、アンタよくやったよ」と、諦観とともに楽観的な意識を抱くであろう。「所詮、一匹のペンギンに何が出来るのか」と、空調の効いた室内から画面を見つめているひとりの「人間」として、無意識のうちに優越感を感じてしまうのだ。ほんの少しの罪悪感とともに。
ここから、その「ほんの少しの罪悪感」をこれでもか、と攻撃されることになるとは、誰一人考えもしなかっただろう。
それでも諦めきれないマンブルは、人間の漁船を追うが追いつける筈もなく、どこか遠くの地に流れつく。そこで目覚めたマンブルを取り囲むのは、壁に描かれた南極の風景と、フェイクの海、日々単調に与えられ続ける大量の魚と、大勢の人間たちの目だった。
水槽越しに「魚を獲らないで」と訴えるマンブル、しかしその声は人間たちに届く筈もなく、声も枯れ果て、単調な日々に次第にマンブルは心を失ってゆく。
ここで驚くべきは、人間が全て実写なことである。この映画の大きな特徴のひとつは、3DアニメらしくデフォルメされたCGではなく、あくまでリアルなペンギンたちと実写と見紛うばかりの秀逸な風景なのだが、ストーリーの衝撃度のほうが余程大きかったので、細かい記述は省いておく。とにかく、このフォトリアルなCGだからこそ、実写の人間が存在しても画的に違和感はないのだが、水族館の水槽の向こうにいるのが、リアルな「人間」だからこそ、非常に嫌〜な気分にさせられる。それまで和気藹々と頑張っていた主人公のマンブルが、心を失くした虚ろなペンギンになってしまったのは全て人間のせいであり、それはアニメのなかのお話ではなく、あなた自身なのですよ、と、画面の向こうから指を指されているかのようだ。そこには先程までマンブルに感情移入し物語を楽しんでいたペンギンの立場から来る気持ちと、そんなマンブルを水槽に閉じ込め、「かわいいね〜」と何も考えず笑っている人間の気持ちが重なって存在し、そのどうしようもなくやりきれない感じは今までに一度たりとも経験したことがない程だ。
その後マンブルは得意のダンスで窮地を脱し、無事南極へ帰ってペンギン総動員のダンスをやってのけ、それを見た人間に環境保護の観点から乱獲をやめさせ、物語は無事ハッピーエンドを迎えることが出来るのだが、もうその辺りは「ペンギンたちが幸せになってハッピー」と普通に観ていることが出来ない。むしろ途中経過をばっさり省略された展開はおざなりであり、「一応、映画として無理矢理ハッピーエンドにしましたよ」といった感を拭えないのだ。
もしかしたら、制作側は水族館のくだりで終わらせてしまいたかったのかも知れない。むしろそのほうが尚更この映画のリアリティは増すであろうし、ダンスでハッピー、なんて有り得ないと、水族館のくだりで既に気付かされてしまっているのだから。それでもこれは映画でありフィクションだから、ダンスで万事解決したが、実際のペンギンはダンスを踊れるわけもなく、今現在だって水族館にペンギンはいて、それを「かわいい」と眺めているのは我々人間なのだ。ハッピーエンドは映画のなかだけでのお話であり、そのハッピーエンドだって、人間が人間の都合でつくっただけのつくり話だ。
「歌って踊る楽しくって可愛いペンギンのアニメ」としてこの映画は大々的に宣伝をしていた。そういった映画だと思い込んで劇場へ足を運んだ親子も多いだろう。(自分だって、そういう映画だと思い込んでいた)例の水族館の部分の画像を載せたくて探したが、結局見つからなかった。プレス的にNGだったのか、制作側の意図だったのかはわからない。ただ、「歌って踊る楽しいペンギンアニメ」と思って観に行く人はどんどん行けばいい。今は公開が終了しているので、DVDをどんどん借りればいい。そういった映画だと思い込ませることこそが、この映画の意図なのだ。その軽い気持ちで入った入り口の先には、想像を遥かに超える出口が用意されて待っていることだろう。そしてその出口は、決して軽くはないが、悪いものでもない。むしろ自分は多くの親子が何も考えず踏み入れてくれることを望む。
「水族館に行きたくなりました」というレビューを見掛けた。水族館にマンブルの人形が飾ってあり、子供が写真を撮っていたというエピソードも。申し訳ないが、自分には全く理解できなかった。水族館は好きだが、当分普通に楽しめそうにない。いや、当分ではいけないのだろうが。
好きな漫画家がこう言っていた。「人類の最大の罪は想像力の欠如」と。持てる限り最大の想像力を駆使して、この映画を観て欲しい。
2007/08/18
CINEMA ・
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